その127 身体技術上達試論②

「速さ」について

 これまた野球との対比となりますが、一般的にはピッチャーが投げる球は速い方がよいとされます。
 また、剣道でも「目にも止まらぬ早業」などといって、速いのをよしとするのが一般的であります。

 しかし武蔵は『五輪書』で、「兵法のはやきといふ所、実(まこと)の道にあらず。はやきといふ事は、物毎に拍子の間にあはざるによつて、はやきおそきといふ心也。其道上手になりては、はやく見へざる物也 …中略… はやきはこけるといひて間にあはず」と書かれております。

 また、他の伝書などでもおおかたは、速さを肯定するものではなく、「上手のする事は緩々と見えて、間の抜けざる拍子也」などと表現されています。
 これを間合との関連で整理してみると、我が身を遠く安全なところに置いて相手を打とうとするから、飛道具的な速さを求めることとなります。
 これは前回申しました「勝ち焦り」また「間合が切迫する怖さ」のあらわれです。

 「拍子」ということも速さと関連します。拍子には大拍子・小拍子などありますが、ピッチャーの投球もバッターのスイングも、剣道の一打も皆これ「一拍子」を基としています。
 しかし同じ一拍子のなかで、投手は「目にも止まらぬ」速球を投げ、剣士は速攻の一打を出したいと思うのが常であります。
 そのことを武蔵は『五輪書』で「道の力を得て振りよくなる也。太刀の道といふ事はやくふるにはあらず」「諸事しつけたるもののする事は、いそがしく見えざる物也」「はやくいそぐ心わろし。枕をおさゆるといふ心にては、少しもおそき事はなき事也」と述べています。

 「道の力」「太刀の道」がキーワードで、これらを身につけた熟達者のすることは忙しくは見えない。はやく、と急ぐ心が悪い。枕を抑えるというのは、敵が打とうとする「打つ」の「う」を抑える、その心があれば、少しも遅いことない。と、いたずらに速さを求めることを戒めております。
 また、冒頭の『五輪書』の引用で、「… 物毎に拍子の間にあはざるによつて、はやきおそきといふ心也」つまり、間に合わないから、はやいおそい、という思念が起こるのだと述べています。

 では、いったい「間に合う」とは、どういうことでしょうか。
 身近な例をあげますと、電車に乗るとき扉が開いて閉じる間に乗車する。これを「間に合う」といいますね。ここでは、はやいおそい、の思念はまったく起こりません。はやいおそい、の思念が起こるのは、扉が閉まる直前に、無理やり乗ろうと急ぐときに起こります。
 これを剣道に置き換えると、しっかりと相手の隙をとらえていれば自ずから「間に合う」ので、はやいおそい、は問題にされません。まさに「枕を抑える」状況です。
 しかし多くは、機がズレるのを恐れ、急いで「間に合わせ」ようとするのです。
 このことが速さに頼ろうとする心理であります。

 「間に合う」と「間に合わせ」は、似て非なり、です。
 どうか皆さん、いちはやく「間に合わせ」から脱し、上達をめざし日々「間に合う」稽古を心がけてください。
  次回は、速さと居つきの関係について述べてみたいと思います。
 「居つき」は、以前[その七十三 「居つき」について](H26.11.17)で述べていますが、少し視点を変えて考えてみたいと思います。
つづく
頓真

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